こいさん頼むわ。案内してあげてー。

1階見取り図 食堂 応接間 台所 西の部屋 風呂
2階見取り図 こいさんの部屋 悦子の部屋 幸子の部屋 2F
■「倚松庵」の雅号について
 谷崎が「倚松庵」の雅号を用いたのは昭和七年の初めごろで夙川での隣居あたりからである。昭和十六年ごろには「松廻舎」という雅号を使用することが多くなっている。このことから考えると「倚松庵」と呼ばれる家は合計六軒あることになる。松の木があるからという現象的理由が説得力を持つのは、根津別荘、魚崎、打出、反高林の四軒のみ。ここはやはり、松子に倚る、というメンタルな意味の方を重視するべきであろう。
 六軒の中でも特に反高林の家を「倚松庵」と呼び慣わすのは期間の長さと愛着の深さゆえ。

《▲赤色の文字の場所はクリックすると、詳しい説明に行けます》

蘆屋のこのあたりは、もとは大部分山林や畑地だったのが、大正の末頃からぽつぽつ開けて行った土地なので、この家の庭なども、そんなに広くはないのだけれども、昔の面影を伝えている大木の松などが二三本取り入れてあり、西北側は隣家の植え込みを隔てて六甲一帯の山や丘陵が望まれるところから、雪子はたまに上本町の本家へ帰って四五日もいて戻って来ると、生まれ変わったように気分がせいせいとするのであった。(上巻十八章)



●谷崎家系図と「細雪」のモデル関係
●阪神居住時代の谷崎




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